コラム

2017.07.07

弁護士を目指す人へ②

1 知識と知恵

 まず「知識」と「知恵」の意味について考えてみると、「知識」というものは万人に対して書面をもって説明することができるもので客観的なものである。これに対して、「知恵」は本人のみでしか説明できない主観的なものである。たとえば、「自転車に乗れる本」という書籍があるとしても、この本を読むだけで自転車に乗れることにならない。自転車に乗るためにはその自転車と本人との間のいろいろな工夫があり、その工夫を本人のみしか理解できないというのが一つの例である。

2 弁護士業務と知恵の関係について

 弁護士業務もここ20年で様変わりした。つまり、「司法改革」の結果、弁護士の数が異常に増えて相対的に一人の弁護士の収入は減少することになった。そのため、弁護士の業務にとって最も重要な関係を作っていたいわゆる「ボス弁とイソ弁」というギルド的な関係が破壊されてしまった。ボス弁とイソ弁の関係は徒弟制度に似たものであり、イソ弁はボス弁の一挙手一投足を見ながら事件そのものの解決方法を学んだ。これが後述する市民弁護士にとって重要な要素を作り出していた。

 この徒弟制度がアナログ的であるとして崩されることに危機感を覚えていた弁護士は少数であった。先ほど徒弟制度でなければ市民弁護士として必要な資質が確保できないと述べたが、市民弁護士にとって必要な資質とは何であろうか。

 

3 板前と漁師の関係

 「司法改革」において、ロースクール制度等で司法試験受験生を鍛えていたのは「板前」としての能力であった。ところが、市民弁護士としてきちんと生きていくためには「板前」としての能力をいくら高めても不完全である。つまり、ロースクール生を取り巻く環境は、専ら「板前」として修行する場に過ぎず、「漁師」としての能力を磨く場ではなかった。「板前」の能力がいかにすごくてもその能力を発揮するために顧客が存在しなければならないが、顧客を連れてくる能力=漁師としての能力がなければ板前の腕前を発揮する機会がないことになる。この「漁師」(=受任機会を得る能力)としての力は、先に申しあげたように、専らイソ弁としてボス弁と顧客とのやり取りその他すべてのボス弁のやり方を、ボス弁の傍にいてマンツーマンで体得するしかないものである。

この点については、先ほども述べた「知識」と「知恵」の問題も絡んでおり、自分なりに体得した「漁師」としての能力は「知恵」であり、その時々の様子・状況を書面にして(「知識」として)他の者に伝えようとしても困難な問題であり、いわば「知恵」と同様の問題がある。

 以上から、「司法改革」によって従来のボス弁・イソ弁徒弟制度を単に時代遅れであるとして軽視したつけは非常に大きいものがある。

4 以前は、新人の弁護士に初顔合わせするとボス弁の名前を聞いてその新人がどのような弁護士になるのか予想がついたものであり、ボス弁の信用度=新人の信用度であった。ある意味で牧歌的な時代であったような気がするが、現在では当会も千五百名を超える数に至ったがおよそ15年前(当事務所が設立された当時)の弁護士数はその約半分の七百数十名であり、弁護士会も会長選出に「梅香亭方式」が依然と行われる等会全体を一体感を感じさせるほど牧歌的であった。

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